作り手インタビュー Interview

作り手阿部 恵子

阿部恵子インタビュー
呼吸をするように、
絵を描く人

求めるのは、絵を描くことだけ

カラフルな色使い、抽象的だがどこかかわいらしさのある幾何学模様、ときおり見受けられる動物や食卓らしきイラスト。それらがスケッチブック一面を埋め尽くされた言いようのない満足感を、阿部恵子さんの絵は見るものに与えてくれる。全体を眺めても楽しい、細部に目を凝らせばその精緻さに思わずため息が出る。いくら見ても見飽きない魅力が、阿部さんの絵にはある。

阿部恵子インタビュー
モチーフなどは特にないように見える、と逸見さん。どの絵を見ても、カラフルで心楽しく、色も形も調和が取れた穏やかな印象を受ける
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「阿部さんは食べることがお好きなようです。それも好き嫌いがなく、出されたものをありがたく丁寧に召し上がる方です」と逸見さん。食卓の楽しそうな絵はそうした阿部さんの気持ちがあらわれているのだろうか
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動物園に行った後に描いた絵と思われる作品。生活のなかであったことが絵のモチーフになることもある
阿部恵子インタビュー
毎日絵を描いていたという頃の一枚。2013年撮影

阿部さんは、どんな思いで絵を描いているのか、絵のモチーフは何なのか、絵を描くことは阿部さんにとってどんな行為なのか。聞いてみたいと思った。入所先に問い合わせてみたところ、ご本人は2019年に脳梗塞を患い、利き手の左手が使えなくなってしまったばかりか、寝たきりで会話もままならないという返答だった。せめてご本人にお会いできないかと相談してみたものの、このコロナ禍。入所者の感染防止対策として外部の立ち入りは一切できないという。電話取材なら、ということで取材を受けてくださったのが、「柏の郷」の逸見政尚(へんみまさなお)さんだ。逸見さんは入所者にとって困りごとがないかと相談に乗る相談員として、「柏の郷」で働くスタッフだ。2017年、まだ阿部さんが旺盛に絵を描いていた頃に知り合ったという。

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(C)撮影:柏の郷
現在の阿部さん(右)が絵を描いているところ。入所する「柏の郷」のスタッフ・逸見政尚さんが、最近の様子を穏やかな口調で語ってくれた。2021年撮影

「阿部さんは、とにかくいつでも絵を描いているという印象でしたね」
と逸見さんは当時のことを振り返ってそう話す。
「談話室にサインペンを置いておいて、阿部さんが絵を描くスペースを作っていました。口数は少ない方で、いつも黙々と一人で絵を描いていました。お元気だった頃は一日2~3時間は描かれていたでしょうか」
阿部さんが「柏の郷」に入所したのは、前の施設にいた際、転倒して車椅子での生活になったことがきっかけだという。
「阿部さんは『これをやりたい』とご自分の要求をお話しするようなこともほとんどないんです」と逸見さんは話す。
「絵はここにくる前の施設でも描いていたと聞いたので、サインペンや色鉛筆を施設の者が用意したものを使っておられます。本当に欲がないというか、『もっと良くしてあげたいね』とスタッフ皆で話すんですけれど、阿部さんご自身はそこにあるもので満足されるというか……。楽しみを広げるという意味で、CDプレイヤーを置いてみたこともあったようですが、自分で音楽を聞く様子は見られなくて、とにかく絵だけは描き続けていらっしゃるので、『絵はお好きなんだろうな』ということがわかる程度で。ご自分から何がほしい、ということを要求されることは少なくて、少なくとも私が関わり始めてから、絵を描くことはやめたり休んだり、っていうことがなかったです。いつからそうなのかはもうご本人含め、誰にもわからないのですが、入所時には、前の施設で描いていたスケッチブックもありましたから、かなり前から描かれているはずです」

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談話室の一角が阿部さんのアトリエだった。施設内にもファンが多いそう。2013年撮影

共有できない記憶を抱えて

記録によると阿部さんが支援施設に入所したのは1974年。阿部さんが12歳のときだ。生後間もなく小児脳性まひを患ったことで、知的障がいが後遺症として残った。7歳で母親と死別。その後、いくつかの施設で暮らしたのちに、「柏の郷」へは1992年の開所当時から入所している。きっかけは前にいた施設で転倒し、車椅子での生活を余儀なくされたことだった。
「ご高齢ですし、これまでも県内の施設をいくつか移っているうえに、同じ施設の中でも担当が変わることも珍しくないので、詳しいことがわかる者がほとんどいなくて」
と逸見さんは申し訳なさそうに話してくれた。
こうしたことはなにも阿部さんに限った話ではないという。高齢になればなるほど、家族との死別や、知人との死別離別が重なり、その人の過去を知る人がごく少なくなるケースは増えるそうだ。
阿部さんの場合も、阿部さんの頭のなかにしか残っていない記憶がたくさんあるに違いない。それをともに懐かしんで語れる人はもういない。写真も多くは残っていない。それは切ないことでもあるけれど、どんな人にとってもありうることだろう。自分しか、もう覚えていない記憶。共有できない記憶を一人抱えて生きることは、人間の孤独ではあるが真実の一面でもある。

おしゃべりな絵

阿部さんの絵には、何かモデルがいたり、景色をスケッチしたりしたものではないと思う、と逸見さんは言う。
「元気な頃から絵のことをどうこう話すこともなかったんですよ。もともと口数が少なかった分、絵で何か心に浮かんだものを表現するのは阿部さんにとって重要な行為だったように思います」

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「阿部さんの頭の中にあるものを描いているように感じる」と逸見さん。絵の内容について、阿部さんが言葉で語ることはないという。2013年撮影

阿部さんの心に去来していたイメージはどんなものだったのだろう。今はもう、それを聞き出すことはできないが、阿部さんの絵は、阿部さんの人となりとは逆にとてもにぎやかだ。いや、「逆」ではないのかもしれない。阿部さんの絵からは、とても明るく、にぎやかで、しかも調和した印象が伝わってくる。阿部さんの描いたたくさんの絵は阿部さんのおしゃべりなのかもしれない。そう考えると、阿部恵子という人は、なんて前向きで明るく、優しい人なのだろうか。

絵を描き続ける背中

もともと不自由だった足に加えて、2019年に患った脳梗塞で利き手である左手が動かなくなった阿部さんだが、今でも利き手でないほうの右手でペンを握る日もあるのだという。

「元気なころは2時間でも3時間でも絵に向かっていた人が、今はこのぐらいしか描けなくなってしまって、いつも近くで阿部さんの様子を見ている者としてはつらくて」
と逸見さんは切ながって話す。しかし、利き手でないほうの手ででも、「描き続ける」という阿部さんの姿に心打たれる人も少なくないだろう。
最近の阿部さんの絵の写真と制作の様子を、逸見さんに写真撮影してもらった。

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(C)撮影:逸見政尚 2021年撮影
受傷後、2017年に制作した作品

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(C)撮影:逸見政尚 2021年撮影
2020年の「こころいきいき芸術文化祭」に出展した作品

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(C)撮影:逸見政尚 2021年撮影
「阿部さんも身体の自由は以前より利かなくなってしまいましたが、キャンパスを前にすると自然と絵を描き始めるのを見ると絵を描きたいという気持ちは衰えていないように感じます」と逸見さん

「人生を賭して制作に向き合う」なんて、格好いいなんて軽薄に思っていた。アーティストなら制作に向き合わ「ねばならない」ときというのがあるのだろう、とも門外漢ながら想像したこともあった。しかし、阿部さんの、まるで呼吸するように絵を描く様子にその考えを改めさせられる気がした。呼吸は、楽にできるときは意識せずともできるものだが、飽きたからとか、苦しいからといって止めることはできない。だから、どんなときも絵を描き続ける阿部さんの様子は、格好いいとか、「ねばならない」などという制作や自意識を越えたところにある何かなのだ。絵を描くことが、生きることと同義になっている。それが阿部さんだ。
「阿部さんは人に絵を見てもらうのはうれしいようですが、だからといって賞を取りたいとか、自慢したいとか、そういう欲もまったくないんですよね。画材も選ばないし、こちらが用意したもので、ただただ、描き続けている。そういう人です」。逸見さんは言葉をむすんだ。

文:三谷 葵(ユカリロ編集部)
写真:加藤いずみ(2013年)
編集:ユカリロ編集部

作り手阿部 恵子

あべ けいこ

1937年秋田県生まれ。12歳の頃から支援施設に入所していることが記録に残っているが、過去を知る親族の多くとは死別しており、詳しい来歴は不明。サインペンや色鉛筆を使い、スケッチブック全体を美しい色彩と抽象的な図像で埋める独特の画風も、いつ頃確立されたのかわかっていない。

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