サイボーグ「ジョバンニ」
古いファイルから純二郎さんが大切そうに取り出したのは、人体(あるいはロボット?)の透視図のような絵だ。ルーズリーフのような薄い紙に描かれたそれは、几帳面な文字もびっしりと書き込まれている。何度も描いては消し、描いては消しを繰り返したせいで、よれよれになったルーズリーフは時にセロテープで止められ、そこさえも黄ばんで時を感じさせる。それが何枚も古いファイルに納められているのだ。今にもバラバラになりそうなそのファイルは純二郎さんが高校生の頃に母親に買ってもらったものだという。純二郎さんは30歳なので、少なく見積もっても15年は前のものだ。
この絵は何の絵ですか? そう尋ねると純二郎さんは表情を変えずにこう答えてくれた。
「はい、これはジョバンニです。ジョバンニというのは、僕の理想のキャラクターといいますか、『自分がもっとましな人間だったら』と思って作ったのが、ジョバンニの設定です」。
ジョバンニの設定は詳細で、物語も長大だ。
例えば、ジョバンニはサイボーグである。本名は、「ジョバンニ・アイドラー・ヒルコ・ターミネートルド(出生名:ALCA-PCT-12)」。当初は純二郎さんが大好きな宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の主人公からファーストネームが、サイボーグという設定から「ターミネートルド」というラストネームが付けられている。ここ数年で、二つのミドルネーム「アイドラー・ヒルコ」がジョバンニの名前に加わった。「“アイドラー”は“idler”、つまりドラえもんの野比のび太のように怠惰な性格の自分を表しています。“ヒルコ”は日本神話に出てくるヒルコ(日本神話ではイザナギ・イザナミの最初の子として生まれるも、海に流されたとされる)のこと。ジョバンニの出生をヒルコのようだと感じたから追加したものです」と純二郎さん。
純二郎さんはジョバンニのことになるととても一生懸命に話してくれる。
ジョバンニは人間ではないものに生み落とされた人間の血を引かない生き物であること。
人間に近くはあったが、ハンディキャップを背負っていること。
人工生命体なので、出生名は「ALCA-PCT-12」ということ。
ジョバンニは本物の脳に機械の体を持ち、超能力(念動力)が使えること。
道具を捻じ曲げる力、テレパシー、テレポーテーション、万物を無から生み出したり、消滅させたりする力も、ジョバンニは持っていること。
ジョバンニは当初人類を滅ぼすことを目的に作られたサイボーグの素材となる人工生命体だったが、失敗作として殺処分されかけたのをかろうじて生き延び、自分をサイボーグに造り替えて創造者を滅し、以後は隠者として生存するも、やがて他者からの愛を得たいと思うようになっていく。
一度書いたものを書き換えたり書き足したりする理由を聞くと
「より強力に、頑丈に、もっと強いキャラクターに作り上げたいので、SFや映画やアニメなどで『この設定はいいな』と思うとそれを反映させることもあります」と純二郎さんは語る。
最強のサイボーグの「苦手なこと」という設定
純二郎さんがジョバンニを描き始めた中二の頃のこと。
「いわゆる『中二病』のようなものだったのかもしれません」と純二郎さんは振り返る。
ジョバンニは純二郎さんの理想であり最強の人間として常に純二郎さんはブラッシュアップを行ってきた。しかし、その反面苦手なこともあるという。
ジョバンニはどんなことが苦手なんですか? 何の気なしに問うたこちらに対して、純二郎さんは、自分の感情が思わず揺れ動いてしまった、というようなバツの悪そうな表情を一瞬浮かべたあと、平静さを取り戻してこう打ち明けてくれた。
「ジョバンニは、人との距離がうまく取れない。
ジョバンニは、人に好かれることがうまくできない。
自分より能力が高い人が、自分に愛情を傾けてくれることを信じることができない。
ジョバンニは、期待することを恐れる。
自分のことを嫌悪しているけれども、自分を憎みきれない。
自分の汚さは嫌いだが、生きていたい。
こういうのがジョバンニの苦手なところですね」と純二郎さんは一気に告げた。
純二郎さんは中学入学時に医師から自閉症と診断されたのち、29歳のとき、ASD(自閉症スペクトラム症状)と診断されている。
「ジョバンニが苦手なこと」には、純二郎さんが感じる人生の困難が投影されているのかもしれない。
SFに詳しい純二郎さんは、科学の力で実装できる最強な装備なら十分すぎるほどジョバンニに与えた。そうやって理想の自己像をいくら強化しても、ジョバンニの苦手なこと、つまり総じて「人から愛されていることを信じること」は科学の力ではいかんともしがたいものだ。ジョバンニの苦手なことに着目すると、純二郎さん自身が抱える生きづらさという個人の表現にとどまらず、科学偏重の現代社会が抱える歪みが見えてくるような気さえする。
「たくさん持ってきたいわけじゃないけど……」
純二郎さんはやたらと荷物が多い。
ためしにこの日持っていた大きなボストンバッグの中身をリストアップしてもらった。
- アダプター(スマホやデジカメの充電が心配)
- デジカメ
- バッテリー(スマホやデジカメの充電が心配)
- 6穴USB(アダプターがダメだったときのために)
- スマホ
- 障害者手帳
- 運転免許証
- ソーラーバッテリー(電源が取れなかったときのために)
- ドライバー(理由の説明なし)
- 部屋の鍵
- 本(20冊ほど!そのなかに文庫の「銀河鉄道の夜」も入っている)
- 雨具(雨が心配)
- 歯磨き道具
- ティードリッパー
純二郎さんは丁寧な言葉遣いでこう語った。
「母親には『奇異に見えるからこんなにたくさんの荷物を持って歩くのはやめよう』と言われます。重たいものを長時間持っているせいでヘルニアにもなってしまいました。以前は身軽な格好で歩いていたのですが、あるとき忘れ物をして『失敗した』と思った経験から、心配になって少しずつ荷物が増えていったんです。でも私としては必要だから持ってきているのであって、たくさんもってきたいわけではないんです」
描くことを中断しても
純二郎さんはこのファイルを常に肌身離さず持ち歩いていた。設定の変更を思いついたらいつでも反映できるように。いつでも見返すことができるように。
だから、滋賀で開催された「アール・ブリュット―日本人と自然―」(於:ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 2020/2/7-9)での展示の話が来たときは、「展覧会で自分の絵を見てもらうことは嬉しいけど、作品を手放したくなくて悩みました」と話す。
「でも誰にも見せずにてもとに置いておくよりは、それなりに楽しんでもらえるはずと意を決して渡しました」
コロナ禍の影響で滋賀での展示が延び延びになっている関係で、ファイルはまだ純二郎さんの手元に戻ってきていない。ファイルを手放してからも純二郎さんの頭の中ではジョバンニのイメージは成長している。ファイルが戻ってきたらまた書き加えるつもりだ。
頭の中には、これまで書き溜めてきたジョバンニの設定、イメージはすべてインプットされている。
「これを忘れたら、と思うとぞっとする」
と話す純二郎さんにとって、作品はもはや作品ではなく、本当に“自分の分身”なのだろう。
文:三谷 葵(ユカリロ編集部)
写真:高橋 希 (ユカリロ編集部)
編集:ユカリロ編集部