作り手インタビュー Interview

作り手志人 ∞ 秘彗

今夜中にも僕は音楽になっていよう

志人 ∞ 秘彗

秘彗の小説「鮫の飢え」と志人さんには感覚の対話をしていただき「幻肢疼夢」という作品が生まれました。それらの公演直後は二人の脳内と会場全体が繋がりすぎて、現実との境目がまだぼんやりした状態で、志人さんからお話しを伺いました。



志人

私自身、こういった秘彗さんの「鮫の飢え」という作品から感覚の対話をしてみようというのも初めての試みでもあったんですけれども、音声として先程ご本人の朗読を皆さん聴いていただいたかと思うんですが、その朗読の音声は私自身つい最近、作品制作の期日に近づいた頃に初めて聴かせていただいたものですので、最初は本人の書いたこの文章というものからすべて受けたものなんですが、迷いのない文章の書き方をする方だと衝撃を受けたと同時に、神話のような、どちらかと言いますと神遊びと言いますかね魂遊びと言いますか…決して神話というものは国の起りであったり島の起りであったり、その中には美しいだけの世界ではなくて非常に酷かったりとか残酷なお話も多いと思うんですけれども、そういったことをはじめて読ませていただいて感じたところではありました。




安藤

何か傷って…安心するところがあったりしませんか?っていきなりそういう言葉が出てきたんですけど、今回のこの企画もマルさん(圓井)の傷からいろんな方の傷と重ね合わせて、今回のこの空間ができたのかなと思って…その秘彗さんの傷を秘彗さんが聞くことで安心せざるを得ない、何かそういうものを側で見ていて、それを志人さんが秘彗さんの感覚を受け取ってくれて、何か傷が「生きてていいんだ」っというか、もう生きてていいんだっていうと簡単すぎるんだけど、生きてるんだっていうことになったのかなとか?そのあたりのマルさんは7月の水害のことがあって傷も生活も元通りになってなくて、「自分は、はだしのこころをやりません」っておっしゃったところから、スクラッチっていうことをテーマにこうやって重ねてきたんですけど、、、、



圓井

そこのスクラッチとつながるか分かりませんが、志人さんのこのタイトルは幻肢疼夢(げんしとうむ)?


志人

そうですね、幻肢というのが幻肢痛とかね、言われますけれども幻の肢。あるはずのない何らか事故や先天的なものでもあるはずのない指や足というものがあたかもあるように感じ、疼く、夢。という風な事で、私自身、口に出して題名を読んだ事はありませんでして、ただその「幻肢」、この彼女が書かれたお話の中に一本一本指を切り落として鮫に与えていくというお話もありましたし、その夢というものを捨ててしまうということの失った夢がいまだに疼く、疼くという疒(やまいだれ)ですが疒に冬、疼くという漢字がやまいだれに冬のようでいて冬の字がですね二列に並ばずに「ン」ってなると、やまいだれ自体もこぉ「ト」「ト」「ン」に寄ってきていたり

彼女から受けたお話の中で私自身も会ったことがない姿も見たことがないそうした方と対話をして行くっていうことっていうのは、信号を送るようなモールス信号ではないですけど、「トンツートンツー」とそういった信号を送って、なので安藤さんに昨日ご本人に「会ってみませんか?」ということで実際会いに行ったんですけど、その時にもう初めましてではないような、もう電報、信号を送り合っていたような感覚といいますか、ですので久しぶりという感覚に陥ったんです。

私自身はあまり人とコミュニケーションを取るのがなかなかできないですが、繭(まゆ)で作った犬なのかうさぎなのかよくわからない動物の人形みたいなのがあったんですよ、ちっちゃい、それを秘彗さんにこれちょっと何もお土産ないんですけど、この何かよくわからない人形を手渡して、そしたら本人からはそこにありますが小さなハリネズミですか?ハリネズミの折り紙をいただきまして、それまで会話はままならなかったんですが、一気に心が打ち解けてという感じで「これは犬なんですかね?うさぎなんですかね?」「よくわからないんですけど何なんでしょうね?」っていう話をしていたら、ご本人が「何なのかわからなくてもいいんじゃないですか?」ということをおっしゃられて、あっそうだなということを感じましたね。そんなことがありました。

限られた面会時間の中で秘彗から頂いた折り紙は幻肢疼夢の原稿の上に置かれた


こんな音楽は生まれて来なかったんだよ

圓井

この志人さんの作品、幻肢疼夢(げんしとうむ)とあえて申し上げますけども、途中で「こんな音楽は生まれてこなかったんだ」という言葉があるんですが、それは、例えば、秘彗さんの場合は日常の脳の感覚が、この小説と同じような位置にいるような背景の持ち主で、そのすごい重い気持ちになった時に生まれ書き始めてる。あくまで僕の印象なんですけども・・
「こんな音楽が生まれてこなかったんだ」というのはちょっと近いようなことになるんでしょうか?



志人

これは一つの大きな例えでもあるんですが、この物語を私自身が書いてみて物語をどう捉えるのかっていうのはあの聞き手に委ねたいなというところが実際ありますけれども、個人的に自分自身がこう感じたことや生きていて、というところも、もちろん作品の中に入っているのかもしれませんけれども、物理的に孤立をしている空間っていうのと精神的に孤立する空間っていうのがあると思うんです、どちらにせよその孤独と向き合うっていうことによって生まれてくるものっていうのはあると思うんですよね。

自然現象っていうのは酷いほどに突き放してくる、まあどんなに聖人のような人も、どんなに小さなお子さんも、もうひとたまりもなく飲み込んでくるというところもあると思うんですね。

なので「意気地なし」って事を言ってますけど、例えばその意気地がない・育児をしない・それが親とか、そういう事を言ってますけれど、人間の親についてだけ言ってるわけじゃないかもしれないじゃないですか…

人間だけで生きてるわけじゃないんで、だとしたら私達の親?ってどこにいるの?もしくは私達の子供?ってどこにあるの?とした場合、その大きくはもしかしたらとても人間本意で考えてしまってる部分では、ネグレクトというか、育児を放棄した状態にこの星は感じているかも知れない。そうなるんだとしたら、ときおり「意気地なし」と押し寄せてくる物もあるかもしれない。


街もろとも殺したことで投獄されている状態の物理的にあの牢屋の中に入れられて連続殺人犯のN君も別に文学賞をとってもよいかもしれない、だけれどもその人の背景過去というものにとらわれると、そんな人間にそういった賞を与えてはならないのだというような論争も繰り広げられてしまう。


先程の閉鎖的な環境っていうところから生まれてくるものっていうものもあるかもしれませんし、一方で私たちは人間同士だけで根詰めて話していますけど、そこには風や海や山や自然を取り巻くものの存在がありますからね、そうした時に彼女の作品も、その一番最後のあれになりますけどね鮫は何よりも愛に飢えていたのだと、いうことをおっしゃっているんですが、その鮫も何よりも愛に飢えていたと思える気持ちというのが私達にあるだろうかと?


そこに衝撃を受けたんです。彼女の作品に対して。

私達は人間同士で車座になっていろんな話をして「なんとなく今日も面白い話ができたな」というような形で持って帰るかもしれないんですが、実際はそれを聞いている猫、鳥達や猿がいて、っていうこともあるので、非常に閉じた空間での対話になってしまう、そう、人間だけだと。

だから「思い出せよ」っていうことで襲いかかってくることもあるかもしれないし、それは無慈悲にも一方からすればすごい酷いことかもしれないけど、疾うに無関心で何にも見向きもしなかったじゃないか! っていうような悔しさみたいなところがもしも、感情無きものと淘汰されていくようなものたちにも、感情があるのだとしたら?と、思ったわけですね。なんで、実の親とか自分の親との関係とかそういったことだけではなくって、その私たちの親や子供っていうのは誰なんだろう?っていうようなことも、誰なんですかね?ですね。




安藤

秘彗さんの親が地球だったり宇宙だったり、それは私たちの親でも、狭いところでいいような気がしてたりする日常の中で、本当に秘彗さんと志人さんの感覚ですごくこう、「広いところにいるなぁ〜」と、風に吹かれているような気持ちになりました。


志人

結構、暗いような話というかそんなふうに思うかもしれないんですが、作者側というか秘彗さんと私自身はその会わずともね、とても迷いなく、いろいろ考えて作るっていう部分と、一方でもう書きたいという衝動に任せて書いていくっていうこと、もう一度書かれたものをもう一度翻訳するような形で読み直してみるってこともするのも面白いとは思うんですけど、あの当の本人たちは非常にその作品を気付かないうちに生まれてしまったということによってスッキリして行くといいますかね、そんな感触がありますね。


空の紙に文字という星が散りばめられていく

志人

彼女の作品から非常に勇気をもらいました、その迷いのない筆運びというところですね。

どうしても考えて技術的にしていかなくていけないのであろうか?とかね、そういったものを離れて実際自由に書いてみたら、(秘彗さんには)勝手に自分で造語を作っていたりする楽しみもあるそうなんですよ、その造語が実は世の中に存在したということで驚いたということをおっしゃられていて「そんな事ってあるんだね〜」という話で、私自身はお話というよりも文章であったり言葉や詩の中ではパスポートを持っていなくてもお金がなくてもどこまででも旅に行ける。

実際に今日朝起きてここの会場までどのようにしてきましたという、実際に道を歩いた道行(みちゆき)というのがある一方で、自分が書いた文章の構造の中にも道行というのがあるんですね。

その時に私たちは空の星で星座を結ぶ遊びを知っていますけれども、北斗七星といえばあの柄杓の形とか、オリオン座といったオリオンベルトのあの形、という当然のような植え付けられた形みたいなのがあると思うんですけど、実はそことそこの星を結ばなくてもいいと思いますし、いわば君だけの銀河系ではないですが、自分だけの星座をどことどこの星を結うのも自由、新しき星座を生むのだよ夢中に。

そして空を平面で見て点を打つ遊びかもしれない、ただ星と星と星というのはものすごい離れているんですよね実際は、この白紙の紙のことを何も書かれていない紙のことを空の紙と書いて空紙(くうし)と読むんですね。

空の紙に文字という星が散りばめられていくと初めに鮫の飢えに書かれていた「サメノウエー」が「ハレースイセイ」になってくるかもしれないじゃない、で、とても遠いところに「タベラレー」っていうことがあったりとか彼女はすごく大きな、普通であれば近くの星を結ぶところを、すんごい遠くの星を結んで、ものすごい僕らでは想像つかない、大何角形みたいなものをだーっと書いていたと、僕らはどうしてもその綺麗な柄杓の形としてみようかとそういうことで考えていってしまうんだけど、そうするとその裏側にね、あの次の星があってもいいかもしれないし、そんな時に彼女が作っていた造語が存在していたっていうのは、あのもしかしたら何の脈略もないところで先に書かれた言葉なんだけど、後に30何ページ目に書かれた言葉が実は最初に書かれた言葉を呼んでいた、っていう不思議があったりするんですねきっと。

なので筆はそういった部分でも恐ろしいし、逆に考えると普段行けない所まで旅することができるので、書くという事は凄く面白いという事に至るわけなんです。恐ろしさもありながら、面白い。


圓井

この赤い線は今、志人さんがおしゃったようなことなんですか?

「鮫の飢え」と感覚の対話をしながら制作されたのが垣間見える鮫の絵

志人

そうですね。
私は言葉と言葉の同じような響きを持っている言葉というのを探し続けるのがとても好きで、ずっと意味のないことをずーっとやっていますし、一生これをやり続けていくだろうなと思うんですが、その同じ先程の「サァメー」(鮫)と「タァべェー」(食べ)「ハァレー」(ハレー彗星)そういった同じ音の響き、近い響きを持っている言葉たちを結んでいく。

実際に私は耳人間なので特に目で見る必要はないと思っているわけで、ただ今回実際に肉筆で書いたものを書かれたものを一度書いてそれも渡してみようという試みでもあったので、その時に空紙の中でどんな新しい星座なのか道行、どっちがどっちを呼んでいたのか分からないですけど、そういったこと。

彼女の作品の中で小指と小指だけが最終的に残って、明日には手首を切り落とす予定だというラインがありますけれど、あと母と子のね、まあその赤い糸ではないですけれども、繋がっている言葉の中でも人と人との出会いと同んなじように、縁語という言葉があるように言葉同士があらかじめ出会う運命だった、というような言葉同士の響きがあったりするんではないかなと、「じゃあ出会わせてあげたいな」なんていうことも改めて見てみるとね、こんなにたくさんの往き還りが縁と縁同士を結んでいくと、あるんだなぁ〜なんて、いうことをやって嬉しくなってましたけどね。


圓井

全然違う土地にいる志人さんとか秘彗さんとか、僕とか、会場の皆さんとか、京都と秋田とこういう事はそれこそ空紙の中で結ばれる感じがしましたし、音は直接作った本人とも会わずとも、会えなくとも身体の中に入っていくような感じがあるので、音の中で繋がって、そして音でその人の生き方も変わることもあるし、志人さんの音を聴いてきた方も今日は結構いると思うので、会う前より先に音があるというのはある意味いいことなのかなと、昨日も秘彗さんと志人さんが病院で会ったら「初対面じゃなかった」「全然逢っていた」みたいなことを志人さんがおっしゃてて…


志人

最後まで会うことがいいことなのかどうなのかっていうのは分からなかったですが、あの圓井さんにこうした企画に誘っていただいてとてもしっくり自分の中でしたのは、最終的にレコードにしてみようというところで、レコードあまり馴染みのない方も多い頃だと思うんですが、レコードっていうもの事態、死者蘇生と言いますか、もう既に亡くなっているジャズミュージシャンやいろんな方がその時にレコーディングしたものを針を落として今に響かすことができたり、先ほどのスクラッチの様に後ろに戻しまた元の位置に戻す、今昔を同時に見せることができる。


そういった死者蘇生のような感じがすごくあったので、吹き込まれた音っていうのは、その人の心もそうですけれども、容易に時も超える、とても素晴らしいことだなあと思っています。はい。ありがとうございます。

「鮫の飢え」と「幻肢疼夢」が彫られたレコードも展示されました 

鮫の飢え / 秘彗

幻肢疼夢 / 志人

圓井

ありがとうございます。じゃあ、そろそろ終わろうかなと思います。


宗像

それでは、本日のはだしのスクラッチの演奏は以上となります。

演奏してくださった皆さんとその演奏の先、信号の先にいらっしゃる皆さんに最後に拍手をお願いします。



第8回 はだしのこころ
感覚の対話「はだしのスクラッチ」にて

話し手|志人
聞き手|圓井智哉/OVO 安藤郁子/NPO法人アートリンクうちのあかり代表
司会 |宗像 朱実
美術 |小林 嗣昌
写真 |徐 津君 / 1. 2. 3
音響 |あそこ 爆音小僧寿し KoNG
映像 |UB 白田 早坂 田中 / 記録映像





作り手志人 ∞ 秘彗

しびっと  ひすい

志人                                                                                     語部・聲・Vocal Artist 独自の日本語表現の探求により言葉に秘められた全く新しい可能性を示 す。音楽制作のみならず、舞台芸術、古典芸能の語部やアーティストらと協 働して分野を超えた活動を行う。京都国際舞台芸術祭2016では松本雄吉 (維新派・演出)内橋和久(音楽・演奏)『PORTAL』の舞台にて主演を担う他、 「音で観るダンス」(https://otodemiru.net/)では、音により視覚情報を補助 する音声ガイドを担当(2018)。藝大プロジェクト2022 「藝大百鬼夜行」で は ストラヴィンスキー『兵士の物語』を川村亘平斎(影絵師)×志人(語部) ×藝大生で公演。漢検・漢字博物館(漢字ミュージアム)での「企画展『カン ジ・ムジカ』~春と愛と漢字に溺れる、音とアートの企画展~」(2020)では、 言葉の起源を表現した空間演出を行う等、言葉と音の源流を遡上する芸術 活動を行っている。2021年にセルフ・プロデュースアルバム「心眼銀河 -SHINGANGINGA-」「, 視覚詩・触覚詩 心眼銀河 書契」を発表。                                                                                                                                                                          秘彗                                                                                      小説や絵を描いている

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