作り手インタビュー Interview

作り手はだしのこころたち

第9回 はだしのこころ

第9回 はだしのこころ レビュアー▷鈴木励滋

2025年2月21日(金)〜26日(水) にぎわい交流館AU多目的ホールで「第9回 あきたアート はだしのこころ」が開催されました。そのレビューを、23日のイベントで伝説のザツゼントークをしてくださった、鈴木励滋さんにお願いしました。

「はだしのこころ」の催しがある「にぎわい交流館AU」は、けっこうしっかりとした四階建てで、AU(あう)と名乗っているものの、こういう整然とした会場(まさしく「会う場」と書くんだけど)って「なかなか人と人とが出会うのは難しいんじゃないか?」という予感をさせてくる……なんてことを考えながら入っていくと、それは多目的ホールでやっているというので、展示室というよりは会議室といったものを予想し階段を登る。たいていそういうところでの展覧会は、一方的に鑑賞されて終わるのではないかというさらなる心配を勝手に膨らませつつ。

ところが近づいていくと、入口に向かって色とりどりで無数の三角旗があり、なにやら引力が生じているかのようで、会場へと吸い込まれるみたいに次々と人々が入っていっていた。おのずと期待が上がっていく。

ホワイトキューブでのいかにもな展示ではなく、廃材(?)を使ったしつらえもよい。「はだしのこころ展覧会の什器などに使用する剥き芯や不揃いの木材などを秋田プライウッドさんに提供していただきました」という説明を後で目にした。

そしておそらくは曽我大穂さんのであろうスペースが真ん中にあり、これがまた、なんともザツゼンとしている。

これはよい展示に違いないし、今日はとんでもないことになるという直感が訪れる。

はだしのワークショップの作品達も会場を彩りました
多機能型ケアベースにのに 高清水園 さくら国際高等学校 秋田校
はだしのワークショップの映像も会場で流れました

ザツゼンに生きる

わたしが受け持ったトークでは、実践よりも概念に偏ったものを用意してしまったかな、いや、でも実践的な話が聴きたい方には3年前にオンラインでお話しした録画を安藤さんから「限定公開」してもらえばいいから、自分の中で言葉になりきっていないくらい考えあぐねているところを敢えて語ろうと思った。論理よりも感覚に残る言葉を。

聴いてくれるそれぞれの人たちの中で、この後のパフォーマンスや会場にあるさまざまな表現と作用して、各々の表現となってくれればいい、くらいの気持ちで。

上手くいったかどうかは心許ないが、感想は居合わせたどなたかに訊いてもらうとして、届けようと試みた断片を並べておこう。

・「ザツゼンに生きる」とは?
・ ザツゼン⇔整然(きちんとした、スタンダード、主流、規範、かくあるべし)
・ ザツゼンであるために大切なことは、差異をおもしろがること
・「違い」が生きづらさになってしまうこの国の現状
・「障害×アート」ならばなんでもよいというわけではない
・ 自分とは異なる他者を否定しない範囲での〈何でもアリ〉⇒「多様性」
・ 福祉施設でのワークショップは、スタッフのおもしろがる力を育くみ、差異を楽しむ感覚を磨いてくれる
・ ワークショップは「先生」が「正解」を教える場ではない
・ ワークショップは「成果」よりも「過程」を大切にする場である
  ⇒ただ「成果/作品 < 過程/ワークショップ」と言いたいわけではない
・ とりわけ福祉の現場で心掛けるのは「消費されないアート」さらに「消費させないアート」
・ ワークショップは他者のかけがえのなさを意識にのぼらせる機会である

トークイベント「ザツゼンに生きるために〜障害福祉とアートから世界を変える〜」資料リンク

元カプカプ所長の鈴木励滋さんが3年前におこなったオンラインレクチャー
映像観覧希望の方はアートリンクうちのあかりにお問い合わせください

みんなのライブ

しばらくしてパフォーマンスの時間となり、オオカミ(人形芝居ちょうこくしつ座によるパフォーマンス)が口上を始めた。

泣く子もいたが、多くの子らは目を輝かせる。前のめりな重心になっているのが傍から見ていてわかる。

大穂さんは詩を読んだり、床に敷かれた大きな紙の上に整然と並べられた画材をわざとズラしたりしながら、準備をしているように見える。

子らは描き始めるやいなや夢中になってしまう。ミロコマチコさんは壁面にとりどりの色を塗りたくる。

大穂さんが、アコーディオンをかき鳴らしながらホイッスルを吹くと、空気が一変した。

「ああ、いよいよはじまるのだな」と感じてからだの奥の方がキュッと引き締まったところで、大穂さんが叫んだのだけれど、それが何というか、凡俗な想定を著しく超える長さなのである。テレビを中心に「わかる」ことが尊ばれ、「わかりやすさ」は現代のこの国では一つの優先される価値となっているのにも関わらず、だ。「理解できない」は現代日本人にとって、恐怖ですらあるのではないか、などと考える間も叫び声は続いている。

かたやミロコさんも、そんなことも意に介さずに塗りたくっていて、すでに絵具まみれである。なんとも、止められそうなことばかりする大人たちである。

「どうぞ自由に」といくら言われても、とりわけ今の世の中、そうそうできないものだ。大人が身を持って示せることなんて、それをやってみせるくらいしかないのではないか?

二人を見ていて、京都の同志・障害福祉事業所「スウィング」代表、木ノ戸昌幸さんの「ギリギリアウトを狙う」という言葉を思い出す。わたしたちはギリギリセーフを攻めてドヤ顔をしているかもしれないが、それでは世界は何ら変わらない。今の世の中の価値観ではアウトとされているところに踏み込んで、これもアリじゃない? と問う。もしくは魅了して「たしかにアリだ!!」思わせてしまう。その時、世界はほんの少し寛容になるんじゃなかろうか。

なんともおもしろい。

創作の「創」は絆創膏という言葉からもわかるようにキズを意味する

気づくと大穂さんは、ウクライナ人の路上生活者が食べ物を盗んだのをイタリアの最高裁が無罪にした話を読み上げている。それは「商品を脱ぐ」という流れで「いつか食べ物に値札がついているのが懐かしい時が来るのだろうか」という結句にまで至る、貨幣経済や資本主義を否定するかのような詩となった。

「おもしろい」は必ずしも「快適」を意味しないし、ある価値観に縛られた人には違和感や不快感すらもたらすかもしれない。

創作の「創」は絆創膏という言葉からもわかるようにキズを意味する。創るということは誰かを傷つけうる行為だと、これまた同志の平塚「Studioクーカ」の創設者である関根幹司さんが言っていたのを思い起こしながら観ていた。

先ほどのトークでは、「相手を否定しない範囲での何でもあり」と語ったものの、「もうすでにわたしたちが誰かを否定しつづけて来ているとしたら?」、ということは有耶無耶にして来てしまっていたよね、とわたしの中の誰かが言う。

このパフォーマンスで、わたしの中のマジョリティは傷つけられ、「否定された」とすら、感じたかもしれない。

「だって、この社会は変わりようもないから……。だったらどんなにひどい社会であっても、そこへ適応させる方が親切なのでは?」と”優しい福祉施設職員”は悪意なく考えているのだろう。そんな話をしたこのわたしもどこかで、変わりようがないと決めつけていないのか?

誰かを否定することで安穏と生きられている、すでにさまざまに享受してしまっている「わたし」。そこに芸術的な創造は異を唱え、傷を穿つ。わたしの中の一つの価値観が壊される。

「きみが居なかったらこうはならなかった」

「 切らないで!」

先ほどからミロコさんはみんなが描いている絵を切っては壁面に塗り固めていた。と書くと、参加者たちの表現をパーツとしてミロコさんが「作品」を完成させようとしているかのように受け止められるかもしれない。ところが彼女のパフォーマンスはそうならないのはどういうことなのだろうかと考えながら眺めていた時に、青年が叫んだ。

わたしのトークの後にも、自分の出展作品を紹介してくれた彼だ。いろいろ気になることが多そうで、隣り合わせたご家族の中の幼い女の人にもいろいろ訊いていて、いつも街でこれをやっているなら冷遇もされるだろうなと勝手に心配していた人だ。

根気よく応対してくれていたご家族と並んで、紙に好きなテレビの番組名や出演者らしき人たちの「個人情報」を記入していた彼が、自分と隣の彼女のエリアは切り取らないでと言っているらしいことはわかった。

場数を踏んでいるミロコさんは、それを受けつつ「ここは?」「こっちは?」と彼と言葉を交わしながら切り取っていった。その紙片を貼りつけたり、それで表面を撫でて色をひろげたり、そのたびに何かが現れるように見えたけれど、次の一手でまたすぐに違う生き物に姿を変える。結局、「完成」した作品にはほとんどの紙片は残っていない。

「結果」や「成果」のみに重きを置く人には、ややもすれば描いた紙片が「採用」されて作品の一部になること、せめて紙片によって擦られた痕跡だけでも残されることが、何よりも大事だと思えるのかもしれないのだけれど、はたして人々は、「ミロコマチコの作品」を一緒につくっていたのだろうか?

絵を描く工程をライブで見せるものではなくて、やはりあれはライブパフォーマンスだった。できあがった作品はあの時間の名残りではあるが、全てを表すものではない。だから、たしかにミロコさんが描き上げたのだけれど、それはあの空間にいた人々の影響で成り立っていた。目に見えて絵に残る影響ということだけではなく、電話している人、独語して歩き回る人、ジッと見つめる人、それぞれが好きに居られたあの場のあらゆる影響で。ミロコさんが専有するかのような創作ではなく、そんな開かれていて影響し合っていることが見てとれるパフォーマンスだから、あの場はなんとも居心地がよいということか。

などと思索を巡らせていると、今度は大穂さんが「切らないで!」の彼の言葉を拾い始めていた。大穂さんに自分の言葉が読み上げられることよりも、自分と隣の女の子が描いたものを踏まれないかを彼はずっと気にしている。それを察して、気持ちが昂っていきそうな彼に主催している安藤郁子さんが近づいて「守ってくれたのね」とお礼を伝えていた。「役に立った」と誇らしげな青年。そこまで気張らなくてもよいのにと思いつつ傍にいたわたしの中で、彼の「役に立った」という言葉はじわじわと膨らんでいく。どれほど彼が常日頃この世界から「役に立っていない」というまなざしを向けられて来たのだろうかと胸をつぶされるような気持ちになる。

マイペースにしか見えない彼だって、ミロコさんが紙片を貼っているのを視野の片隅で捉えていたようで、自分が「切ってもよい」と判じた部分を切り取って「これも」と、ちょうど通りかかった大穂さんに差し出した。ライブペインティングは終盤に差し掛かっているようにも見えた。ここから貼るってのはなさそうだなとわたしには見えて、どうするのだろうと心が波立ってきたところ、大穂さんはそれをヒョイと自分の頭に乗せた。

ああ、誰の想いも否定されることなく、みんながそこに居られた、と感じた。世間では「こだわり」と無視され/邪険にされ/矯正されがちな言動が、なかったことにもされずむしろ「守ってくれた」と肯定されて、そのままでよいどころか、「きみが居なかったらこうはならなかった」とかけがえない一人として受け容れられた。なんという場の度量であろうか。

「そんな夢みたいなこと」と言われるかもしれない…

そこで再びホイッスルが鳴り響いた。ふと気づくとわたしは泣いていた。

ミロコさんは紙をちぎって投げ上げている。たくさんの子がそれにつづく。ちぎっては紙ふぶきを降らす人たち。祝祭のような光景の中で、大穂さんは縦横無尽にあの旗を張り巡らそうとしていた。

やはりこの人たちは、空間そのものを作品に仕立て上げるのだな、とその顛末を眺めていた。

貨幣も国家も、人間がよりよく生きていくためにつくられたフィクションだったはずだ。いつの間にかカネに隷属させられる人たちが増えつづけ、国家の覇権争いで人が死ぬなんて、本末転倒な世界になっている。

紙ふぶきが舞う中で飛び跳ねる人たちを、ここが世界となればよいと思いつつ、その作品の一部となる幸せを嚙みしめていた。

「そんな夢みたいなこと」と言われるかもしれない。でも、かつてわたしたち人間ができていたことでもある。制度を遂行させる精度を上げつづけたために、人間の根源的な尊厳が否定されるなんてことはあってはならないのだ、断じて。

入口で会場の中へといざなっていた三角旗は、いつの間にかミロコさんがみんなで創った生き物から伸びて、人々の手につながっていた。ガーランドというより、チベットのマニ旗「タルチョー」を想起する。たしかあれは、風で教えが広まると信じた人たちが、風の吹き抜けるところに掲げる旗ではなかったか。この日も大穂さんは人々に高く掲げるようお願いしていたっけ。

蜃気楼のように立ち現れたこの、差異が生きづらさとならないであろう世界が、風に乗って外界へと伝播していくのを、あの場に集った誰しもが願ってはいなかったか。

「はだしのこころ」、この時空に居合わせた人たちが、そんな想いをそれぞれの場に持ち帰って、少しずつ自分の周りの関係性を編み直していくことこそが風となり、景色を少しずつ変えていくはずだと、わたしは信じてやまない。

わたしの中で、あの日の風は、まだ吹いている。

文|鈴木励滋 ( Facebook / X )
撮影|伊藤靖史 ( Instagram )

『第9回はだしのこころ』に関わってくれた皆さんありがとうございました!

○みんなのはだしのこころ出展者のみなさん

○トークイベント 「ザツゼンに生きるために〜障害福祉とアートから世界を変える〜 」

鈴木励滋さん
・参加者の皆さん

○みんなのライブ

曽我大穂さん
ミロコマチコさん
人形芝居 ちょうこくしつ座
・参加者の皆さん

○はだしのワークショップ

多機能型ケアベースにのに
高清水園
さくら国際高等学校 秋田キャンパス
にいなさん
・みうるさん
ふじわらさん
・かよさん

○設営

・大八の清水さん
タクさん
モリさん
・柳田さん
千葉さん
ゲンちゃん
・リョウさん
カワグチレイさん
・ボランティアの皆さん
アートリンクうちのあかりスタッフ

○什器木材

秋田プライウッド株式会社

○選曲

黒井円盤さん
安藤功さん
あそこさん
カネ商店さん
CUKOOさん
・卍丸さん

○音響

・エンマさん

○写真撮影

伊藤靖史さん
・長浜谷晋さん

○ケータリング

空の木Garden
民芸パパヤー 
2-77

作り手はだしのこころたち

レビュアー ▷ 鈴木励滋

【鈴木励滋】 生活介護事業所サービス管理責任者/演劇ライター 1973年3月群馬県高崎市生まれ。97年から所長を務めていた生活介護事業所「カプカプ」を昨年度末に離れて、次の場の準備をしている。演劇ライターとしては劇団ハイバイのツアーパンフレット、「東京芸術祭」のウェブサイトなどに書いてきた。「障害×アート」については『生きるための試行 エイブル・アートの実験』(フィルムアート社、2010年)、はじまりの美術館の記録集などへ寄稿。師匠の栗原彬(政治社会学)との対談が『ソーシャルアート 障害のある人とアートで社会を変える』(学芸出版社、2016年)に掲載されている。

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