ある日曜日の午後、うちのあかりのアトリエで色とりどりのアイロンビーズが入った容れ物にぐーっと目を近づけて、慎重に色選びをしているのは、仁井田晶子さん。
「施設で一緒のあけみおねえさんにあげるの」
そう言うと一つ一つビーズを選び、丁寧に並べていく。
すごい集中力で作業を進める晶子さんだが、周囲が放っておかない。
「ねえねえ、あっこちゃん」
最初に話しかけてきたのは友達のなぎささん。なぎささんは自分が描いた絵を手渡した。
「これ、あげる」
晶子さんはほほ笑みを浮かべながら、ゆっくりと顔を上げた。この日は晶子さんの誕生日なのだ。極度の近視のため、なめるように手渡された絵を眺めたあと、ぱっと顔を輝かせてなぎささんのほうに向き直る。
「キュアプレシャス(プリキュアのキャラクター)だ」
「そう。あっこちゃん、キュアプレシャス、好きだから」
「うん、大好き。なぎさちゃん、ありがとう」
制作に戻る間もなく、今度は晶子さんが「げんちゃんお父ちゃん」と慕う友人のげんきさんが声をかけてくる。
「なに作ってるの?」
「ああ、げんちゃんお父ちゃん」
「娘よ!よしよし」
「僕、あっこちゃんのアイロンビーズ好きよ」
「げんちゃんお父ちゃん、ありがとう」
「今日はそれ、だれにあげるの?」
「あけみおねえさん」
「そうか、僕も前にあっこちゃんにもらったやつ、今でも大事にしてるよ」
返事をする代わりに、晶子さんはうふふと笑う。
むちゃくちゃ幸せになるように
「晶子さんのことを知ったのは、11年程前に県内在住の障害のある表現者を紹介する冊子をつくったときです」
そう話すのはうちのあかり代表の安藤郁子さん。
「晶子さんのことは前から知っていて、展覧会ごとに作品を借りたり、晶子さんが通っていた絵画教室の先生へインタビューをしたりと少なからず関わりはありました。でも晶子さんは当時うちのあかりに参加はしてなかったんです」
晶子さんがうちのあかりに通い始めたのは2021年6月のこと。きっかけは晶子さんの母親が病気になり、週末を過ごす場所がなくなってしまったことだった。
当時のことを振り返って安藤先生はこう話す。
「晶子さん絵が得意なのに、うちのあかりでは全然描かないんです。これまで展覧会で表彰されるなど絵で高い評価を得ているのに、なかなか絵を描かない。“アイロンビーズでアニメのキャラクターをつくる”と決めたらもうてこでも動かないんですね。最初はどうしても“もったいない”“なんとかならないかな”と思っていました」
2022年の春、お母さんが亡くなった。がんだった。
「お母さんのお葬式が終わって、水泳教室をしていたお父さんと『これからこういう形でサポートしたらいいですね』と相談員さんを交えて話した二日後に、お父さんが突然亡くなったんです。脳幹出血でした」
晶子さんはお葬式のとき泣かなかった。お父さんのときも、お母さんのときもそうだった。
「悲しい、苦しいっていう言葉を晶子さんから聞いたことがないんです」
と安藤さん。
「それが周囲の人にとって困った行動になって現れてしまうことがあって、意固地に見えることもあるんだと思います。これまで、そんなことがあったときには、お母さんの弥生さんが晶子さんの特性をよく分かっておられて、晶子さんをしっかり支えておられました。晶子さん、ご家族の愛情に囲まれて育ってきたんだな、だからこその今があるんだな、って感じます。
たまに意固地さをみせることがある反面、喜びを表現するときはもう全身を震わせて心から『うれしい!』っていう気持ちが伝わってくるような表現をするんです。だからこそ私たちは晶子さん自身が本当にやりたいことをちゃんと選べるような環境を彼女に提供できているかなって常に自問してもいるんですけど」
晶子さんがうちのあかりで描いた、数少ない絵画作品を安藤さんが出してくれた。動物図鑑を見ながら描いたという、フェネックギツネ、ハネジネズミ、シャチは独特なフォルムにユーモラスな表情がなんともいえない魅力を放っている。
「晶子さんの絵、すごくいいからもっと描いてほしいけど」
と安藤さん。
「もうやるとなったら絶対にアイロンビーズをやる、といってきかないんです。でもたしかに無理に『既存の図案通りやるアイロンビーズじゃなくて、晶子さんの創造性があらわれる絵じゃなきゃ』って感じるのはこちらの都合でしかないんですよね。なんでアイロンビーズをやりたいの?と聞いてみると、入所している施設に持って帰ってお友達にあげたいって言うんです」
「晶子さんにとっては身近な人に喜んでもらうことが何よりも大事なことなんじゃないかな、と思います」
と安藤さん。
「最初は既存の図案通りにやっていたアイロンビーズも、お友達にあげるんだって言ってむちゃくちゃ集中してたくさんつくっているうちに、いつの間にか晶子さんオリジナルの素敵なアイロンビーズに変化していきました」
「晶子さんと一緒にいると、“これは美術作品なんだ”というような既成概念や、“美術として高く評価されたい”というような価値観がちっぽけで瑣末(さまつ)なものに思えてきます。自分の周囲の大切な人が喜んでくれる、ただそのことだけのために、毎週ものすごい時間と労力をかけて贈り物をつくる。そしてそれをバンバンひとに渡していく。そういう晶子さんの生き方自体に尊敬の念を覚えます」
大きな愛をもらったから
うちのあかりのスタッフのうち、晶子さんが特に信頼を寄せるのが戸嶋祐子さんだ。
「アイロンビーズが冷めるまでちょっとお散歩に行こうか」
と戸嶋さんが誘うと、晶子さんははりきってビニール袋を携えて外に出た。赤や黄に染まった秋の落ち葉を一生懸命に拾っている。
「ケンちゃんにプレゼントなの」
ケンちゃんというのは同じ施設に入所する、晶子さんの思い人だ。
「ケンちゃんに、『葉っぱ持ってきて』って言われたの。もっと大きいの、ないかな」
と真剣な眼差しで少しでも大きなイチョウの葉を探している。
「私ね、『ケンちゃん、好きだよ、愛してるよ、アイラブユー』って言ったの。そしたらケンちゃんが『生まれ変わっても僕とぶうこちゃんと、結婚してください』って言ったの」
と問わず語りにあふれる愛を語りながら、近所の神社にお参りする。
「いつまでも健康でいられますように」
一心に祈ってから顔を上げた晶子さんは、ぱっと明るい笑顔を見せた。
「ケンちゃんの愛、もらったから!」
ときどき、晶子さんはケンちゃんのことを「お父ちゃん」と呼ぶ。うちのあかりの友達のげんきさんのことは「げんちゃんお父ちゃん」、自分の亡くなった父親のことも「お父ちゃん」と呼ぶ。
会話のなかで「お父ちゃん」が何度も出てくるが、そのとき指す意味は父親であるときもあれば、友達のことであるときもあれば、「私のカレシ」であることもある。
晶子さんにとって「お父ちゃん」というのは「大好きな人」を指しているようにも見えるし、亡くなった父親の存在に通じる、彼女の心の拠りどころとなるような、なにか大いなるもののことであるようにも見えた。
うちのあかりではお昼にお味噌汁を作って、みんなで食べる。お弁当を持ってくる人、スーパーで昼食を買う人、いろいろいるけれど温かいお味噌汁を分け合う時間がお昼のひと時、体と心を温める。
戸嶋さんがつくる味噌汁が晶子さんは大好きで、散歩の帰り道は明日の味噌汁の話題で盛り上がる。
「明日のお味噌汁なぁに?」
「じゃあ、水と味噌」
「いやーだぁ」
ケラケラと笑う晶子さん。
「あとは煮干しと」
「煮干し多めでね」
「豆腐と、玉ねぎ」
「うん」
「卵は? 晶子さん卵好きだもんね」
「うん、卵も。あとお麩も入れてね」
「お麩ね、わかった」
ギザギザのハート、四角いハート
2023年1月29日。この日もうちのあかりで過ごす晶子さんの姿があった。この日はケンちゃんと自分、二人でお揃いで身につけるブレスレットを作るという。
「もうすぐバレンタインでホワイトデーでしょ。そのときにプレゼントしたいから」
喜ぶケンちゃんの姿を思い浮かべるのか、うれしそうに体を揺らしながら制作に入る。
「カレシがキラキラ好きなの」
と舐めるようにビーズの箱をのぞきこむ晶子さんの向かいに、友達のめいさんが腰掛けた。
「めいちゃん、今日、おかず交換しようね」
と晶子さんが声をかける。
めいさんも
「うん、おばあちゃんにあっこちゃんの分もデザート作ってもらったから、あとであげるね」
「めいちゃん、ありがとう」
ビーズを丁寧により分けながら、晶子さんはふとこう言った。
「めいちゃんね、お葬式に来てくれたの」
そういいながらスマホを取り出す。
「これがお母さんのお葬式。これがお父ちゃんのときのお葬式。めいちゃん、どっちも来てくれたの」
遺影の前で晶子さんとめいさんが並んだ写真は、服装が違うからそれぞれが違う日だとわかる。
「お葬式、来てくれたの。ありがたかった」
テグスにビーズを通しながら、晶子さんの問わず語りが続く。
「お父ちゃん、プールで亡くなったの。目々開かなくなって病院に運ばれたの。頭の中に血が回って亡くなったの。お父ちゃんね、3時になったらおやつ買ってくれた。コアラのマーチ。それは覚えてる。電車乗って、駅に行って、トピコ(JR秋田駅の駅ビル)さ行こうかって言ったの。ハンバーグが食べたいって私が言ったっけ(言ったから)、トピコの上のレストランでお子様ランチ食べたの。店の名前はなんだっけ……」
「メロンソーダの中にアイスクリームも入ってた。それ食べればおまけもついてくるの。シールだったかな。ほらこれ」
そう言ってスマホケースに貼ったシールを見せてくれた。
比較的新しそうなシールの上に、何度も手が触れて色褪せかかった四角いシールが貼ってあった。
「これはお父ちゃんがつくったシール。絵を描いたのは私。コピーしたのはお父ちゃん。それをここさ貼ってるの」
晶子さんは涙も流さないし、感極まった様子もない。でも、とつとつと語られる思い出話から感じられるのは、父親への深い愛情だった。
晶子さんの作品にはハートがたくさん出てくる。大好きなアイドルへの気持ちを表したハート、友情を表したハート、「私のカレシ」への愛情を表現したハート。なかにはきれいなハート型のほかにギザギザのハートや四角いハートなどオリジナリティのある造形もある。
もしかしたらハートというモチーフには、単純に「好き」という思いだけではなくて、言葉にならない晶子さんの強い思いが乗っかっているのかもしれない。
文:三谷 葵(ユカリロ編集部)
写真:高橋 希(ユカリロ編集部)
編集:ユカリロ編集部