あっちゃんは上が下、右は左
「おすし10コ さけ5コ ぶり5こ」
「みそラーメン うどん すし6こ サケ3こ ぶり3こ」
「チーズパン カマンベールボール たらこしおづけ めんたいこ めんたいかまぼこチーズ 2こ アーモンド 2こ チーズ2こ」
約5センチ×約7センチの紙きれにびっしりと食べ物のリストをかいているのは、戸嶋諄(としま あつし)さん。
友人たちには「あっちゃん」と呼ばれている。黙々とかく作業を続けるあっちゃん。文字を書き終えたら書いたメニューの絵を描きこんでいく。あっちゃんはこれを「お勉強」と呼んでいる。
驚くべきはこの向きだ。左利きのあっちゃんはそもそも人とは左右逆。それだけではない。あっちゃんは、上下も逆。つまり、右利きの人が紙に文字を書くのと、あっちゃんのそれは上が下、右は左なのだ。文字を書く速さも絵を描く速さも、普通の人かそれ以上。あまり悩まずに、どんどんかき進めていく。
かいたものは「お手紙」として周囲の人に配る。この日はかき溜めたお手紙を母の祐子さんがスタッフを務める「うちのあかり」に来る人たちのために持参していた。
あっちゃんのお手紙は“出す専門”
お手紙を周囲の人に渡し始めたのは高校生の頃。それ以来、あっちゃんのお手紙を楽しみにしている人も少なくない。
「うちのあかり」の安藤郁子さんはあっちゃんの作品世界の魅力についてこう話す。
安藤さん「あっちゃんの作品の魅力は、彼の行動全体にあふれていると感じます。あっちゃんは幼い頃からずーっと大好きなものの絵を描きつづけていて、それが彼の安心につながっているし、彼の予定表? 旅のしおり? おいしいものリスト? とも言えるこのお手紙には、彼の幸せな気持ちがいっぱいにあらわれていると思うんですよね」
「お手紙を出すなら、お返事がほしいのかな?」と尋ねてみた。あっちゃんは答えない。
安藤さん「お返事は特に期待していないんじゃないかな。あっちゃんは、お手紙をかいて身近な人に渡すということに、彼なりの使命感を持って取り組んでいる気がするんです。自分の生活のなかから出てきた絵と字をかきつづけ、お手紙にして渡しつづける。それってともすれば一方的なコミュニケーションに見えますが、そこからにじみ出る一途さみたいなものに私は本当に心打たれるんです」
あっちゃんのお手紙は“出す専門”。手紙の往復こそ一方通行ではあるが、あっちゃんのお手紙にはその日会った人、うれしかったこと、おいしかったものなどが盛り込まれている。だからお手紙に自分の名前を発見したとき、周囲の人は幸せを感じるのだ。その喜びとおかしみを安藤さんは笑いながら回想する。
「以前、肉まんをあげたら、肉まんの絵と『肉まんおいしかった。あんどさん。』とかいたお手紙を手渡してくれたんです」
肉まん! 大笑いしながらもあっちゃんの世界に自分が登場させてもらえた喜びを安藤さんは噛みしめているようだった。
「楽しいことがある。おいしいものを食べる。昨日も、今も、明日も。架空のスケジュールを立てているあっちゃんの顔を見ていると、あまりにいい笑顔で、なぜか私は胸がいっぱいになります。」
あっちゃんの日課
あっちゃんは自宅でもお勉強をする。かき終えたお手紙は栄養ドリンクの箱に小さく折り畳んで保管する。箱への保管方法はあっちゃん独自のルールに則っており、「私にもどういう決まりなのかわからない」と祐子さん。
祐子さん「箱の中にまた箱が入っていることもあります。探したらどんどん箱が出てきて、10箱ぐらいあるんじゃないでしょうか」
「今日は『うちのあかり』に行く」という日には、箱からお手紙を取り出して、リュックサックのポケットに丁寧に入れて準備するのだそうだ。
祐子さんによると、お手紙は、その時々の集中度合いのほかに、渡す人によってもとても細かく力が入っているものや、やけにあっさりしたものがあるという。「多分、諄なりに“ひいき”があると思います」と祐子さんは笑う。 あっちゃんは平日の木曜以外は就労支援施設「げんきハウス」で働き、木曜日は生活介護事業所「長岡ハウス」へ、そして土日は母の祐子さんとともに「うちのあかり」に通っている。平日の朝ドラを楽しみにしていて、オープニング曲が流れると必ず踊る。父方、母方双方の祖母への電話も毎日かける。お手紙をせっせとかいて渡すことも含め、こういうルーティーンがきちんと滞りなく行われることが、あっちゃんにとって重要なのだという。
あっちゃんの予定リスト
あっちゃんのお手紙には食べたものや食べたいもののリストのほかに、よく時刻入りの予定リストが入っている。
「きっかけは小学校6年生のときの修学旅行のしおりでした」と祐子さん。
それ以来、楽しみにしていることや架空の予定を表にするようになったのだそうだ。過去に経験したことをベースに「ここに行く」「これを食べる」「何時に帰る」と書き込んでいく。
「諄にとっては、計画を立ててから行くまでが楽しみのピーク。旅行などは実際行くと案外さっぱりしたもので。そういう意味では常に未来だけを向いて生きていると言えるのかもしれませんね」と笑う。
あっちゃんは時間にこだわりがあったり、予定の急な変更があったりするのが苦手なタイプ。こうしてかくことで心の準備をしているのではないかと祐子さんは考えている。
「計画を立ててから実行までが楽しみのピーク、と先ほど言いましたけど、とはいえ、行程を噛みしめているところもある気がします。予定通りにことが進まないと眉間にシワを寄せてたたずんでいることもしばしばですよ」と祐子さんはおかしそうに語る。
祐子さんはスマホに保存された一枚の絵を見せてくれた。
「これは諄が自分の手を噛んでしまったのを自分で描いた絵です。急な予定変更などで不安定になると人を殴ったり、物を投げたり、ごくたまに自分を噛んだりしてしまいます。本人もしてはいけないことだとわかっているのですが……。」と祐子さん。
やっていけないことはやはりやってはいけないんだけれど、本人もそうはわかっていても止められないことがある。それが理解されなくて切ない思いをあっちゃんや祐子さんは私たちが想像できないぐらいしてきたのだろうと思う。
あっちゃんがわかったり、わからなかったり
祐子さんが療育センターの卒園文集に寄せた文章を見せてくれた。
卒園にあたって
私の4歳下の弟には知的障がいがある。子供の頃の私は“弟の面倒をよく見るお姉ちゃん”だった。大人になってからは、知り合いの人が立ち上げた作業所で、ボランティアをさせてもらったりもした。障がいのある人と接するのはとても楽しかった。障がいについて理解のあるつもりでいた私は「将来、もし自分の子供が障がいを持って生まれてきても嘆いたりはしない。愛情をたくさんかけて育てる」なんて話していたものだ。
そんな私だったが、実際に諄の障がいと直面したときは大いにうろたえた。「なぜ私の子までが…」と涙が止まらなかった。家事をしていても何をしていても、涙がいつのまにか出ていた。諄を障がい児として生んでしまった自分の体を責めた。親子二代で障がい児を生んだことを結びつけて考えた。(…)
諄が大荒れだった頃。諄はセンターでも幼稚園でも、笑いながらお友達を叩いたり蹴ったり髪の毛を引っ張ったりしていた。お友達のみなさん、痛い思いをさせてごめんなさい。私はその頃センターでよく泣いていた。荒れる諄を抑えながら、人前でこんなにも泣けるものなのかというほど泣いていた。泣きながら保育の途中で帰ってしまったことも数回ある。あの頃は私も諄もボロボロだった。そんな荒れ模様も、ある時期からふっとおさまった。(…)
今、比較的穏やかな諄を見て思う。荒れていた時期、諄自身かなり辛かったのだろうと。その渦中にいるときは、そこまで考えてあげられる余裕がなかった。自分を見失いかけて、諄にもかわいそうなことをした。
そしてこの3年間、いろいろなことを経験している間に諄の障がいを「これもアリかもしれない」と考えるようになった。障がいを受け入れることができたのだろうか? どうすれば普通の子に追いつくことができるだろうかと考えていたのだが、障がいを持った諄がどうすれば楽しく生きていけるのかと、考えるようになった。以前よりは障がいに対して前向きになったと思う。(…)
戸嶋祐子(戸嶋諄の母)
「このとき、自分では諄の障がいを完璧に受け入れて、乗り越えた気でいたんですよね」 そう話す祐子さんはあくまでカラッとした様子で振り返る。「その後、小3になると諄は幼稚園の頃よりもっともっと荒れるんですよーってこの頃の私が知ったらひっくり返るかも。人生甘くない」と話す祐子さん。
きっとこうしてあっちゃんを「わかった」と思ったり「どうしてもわからない」と思ったりすることを何度も繰り返しながら、あっちゃんと暮らしてきたのだ。
あっちゃんは「自閉傾向のある知的障がい」といわれている。しかしこの診断名だけで、あっちゃんの何かがわかったことにはならない。あっちゃんという人を知るために、これまでどれほどの涙があり、心や体のぶつかり合いがあり、時間がかかったのだろう。「障がいのかたちは千差万別」なんてわかったようなことを言うのはかんたんだ。だが祐子さんの文章からは、実際に障がいのある子どもと向き合うということは、体全体、心全部、人生まるごとをぶつけ合ってお互いを理解しあおうとする時間を重ねていくことなのだということが感じられる。その時間の積み重ねがあるからこそ、「諄のこういうところをもっとわかってもらえれば……」という祐子さんの気持ちが募るのだろう。
「困ったことも理解してもらえず悲しいことも多々あるけれど、やはり諄には愛嬌があるし、“そこでそうする?!”という行動のおもしろさも毎日楽しんでいます。絵も最高におもしろいし、やはり諄はかわいいいです。親バカかな!?」と祐子さんはカラカラと笑った。
あっちゃんのまわりで笑顔が生まれる
祐子さんは2009年からあっちゃんの絵をポストカードやTシャツなどのグッズにして近しい人などに販売してきた。ポストカードはほぼ完売、好評を受けてTシャツや手ぬぐいなどグッズ作りはどんどん白熱していく。
最近取り組んでいるのは、1点もののトートバッグやポーチの制作。そのきっかけも、あっちゃんのお手紙だった。
「主治医に診察のたびにお手紙を渡していて、それを先生が『とてもいいね、何かに活かせない?』と職員に投げかけたのが始まりです。それから、職員の方たちが工夫をしてくれて、今の形に落ち着きました。げんきハウスには週4日通っているのですが、そのうち金曜日は布に絵を描くことが諄のお仕事になりました。得意な事を活かせる仕事ができているのは、職員の理解と協力があったから、と思います」と祐子さん。
「グッズを作るのは、『見て見て、うちの子、すごいでしょ?上手でしょ?』という気持ちからみんなに見てほしいから、というのももちろんあります。でももっと根っこのところでは諄の絵を見て『元気が出た』と言ってもらえた経験があったからだと思います。そうか、諄の絵が役に立ったんだ。そう思ったらうれしくて。誰かに存在を認めてもらいたかったんだと思います」と祐子さんは話す。
そんな話をしているさなか、あっちゃんは恒例の「3時半のおやつ」を配り始めた。
時間ピッタリ! 今日のおやつはポテトチップスとグミ。
ポテトチップスの袋の底に残ったかけらも大事そうに袋の口をマスキングテープで留めてリュックサックにしまっている。
「で、帰ったらこれをうれしそうに食べるんです」という祐子さんの解説に、その場にいた全員が笑った。
文、動画:三谷 葵(ユカリロ編集部)
写真:高橋 希(ユカリロ編集部)
編集:ユカリロ編集部